公開:2020/07/26


原 始 細 胞


知花敏彦 沖縄講演 1988年6月1日

<目次>


2.内なるキリストは語り給う


あなた方一人びとりが神の現れであり、神に使わされたものであり、神の表現媒体であることを今日ここで知りなさい。


そして、わたしはあなたの中心核として、原始細胞として、永遠なる、不動・不変なる久遠常在のわたしが、あなたの中におることを知りなさい。これがあなた方のキリストです。そして、これが「わたし」なのです。


『わたしを心から、魂を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、愛しなさい』そのことは「それを全部わたしに委ねなさい」ということです。


魂も精神も全てわたしに委ねて、初めて、全てのものがわたしに似ることになります。あなたはわたしの心になるでしょう。あなたの心をわたしに委ねたならば、わたしの心があなたのものになるでしよう。


あなた方の肉体は、自分が乗っている船のようなものです。この自分の肉体という乗り船に、あなたは二つの船長を置いているようなものです。一つの船に、二つの船長がいたらどうなりますか。混乱するのは当たり前です。わたしは智恵なる船長、その船の造り主なるものです。


─── わたしがこの船を造って、わたしが管理しているものである。それなのに、あなたはもう一つの船長をどこからか持って来てしまった。それがあなたの偽我、自我、五官の感化という心を造り出してしまった。二つの心、即ち、二心(ふたごころ)になってしまった。だから、あなたはわたしの言うことを聞くのか。向こうの言うことを聞くのか。───


あなたには良心というものがあります。その良心がわたしの心です。良い心のことです。邪心というのは、外なる表面から拾い上げたあなたの心で、それがわたしを遮(さえぎ)っているのです。


わたしに委ねて、わたしに任せて、あなたの肉体を船長一つにするならば、あなたは躓(つま)ずくことはないでしょう。混乱することもないでしょう。


今、あなた方の肉体には二人の主人がおります。邪心なるものと、良心なるわたしがおります。道を知っているわたしと、道を知っていないあなたがおります。だから、あなたの心は落ち着かないのです。これは、あなたが勝手に人間のものを創造したのです。


どうか、わたしだけに一心集中して下さい。一つの心にまとめて下さい。二つの心になりますと、あなたの心は散乱であり、混乱となるのです。


どうか、わたしというキリストの心に一心を集中して、常にわたしを観つめなさい。それは沈黙です。外なる自分の沈黙を守るしかないのです。あなた方が外なるものに意識を向ければ、外なるものがあなたを操(あやつ)ります。どうか、時間がある毎にわたしを意識して下さい。


わたしを愛する者は、わたしから愛されます。わたしを信ずる者は、わたしによって導かれます。あなた方はわたしを今まで信じて来ましたでしょうか。殆どの人が無視して来たのではないでしょうか。


わたしは道です。わたしは真理です。わたしは永久(とこしえ)のものです。わたしはあなた方に、無実と、無病と、不死を啓示します。あなたの外なる偽物の悪魔(サタン)は、あなたに罪と病と死を啓示します。外に生きて、外を信ずる者は死にゆく者であり、罪なる者であり、病む者であり、それより免(まぬが)れることはありません。それをあなた方が信じて意識すれば、その通りのものを具現するからです。


わたしはあなたに決して罪を啓示いたしません。わたしを信じ、わたしを受け入れる者は無実です。わたしを信ずる者は無病です。わたしを信ずる者は不死です。わたしは永久(とこしえ)なる、久遠なる、完全無欠なるわたしであるからです。


あなた方は、現実に、今までわたしの面倒を受けて生きているのです。このわたしに、一度だって感謝したことがあるでしょうか。手を合わせたことがあるでしょうか。


「わたしの他に神があってはならぬ」と、モーゼの口を通して語ったわたしです。あなた方には、わたしの他に神があってはならない、わたしがあなたの中におるもの、わたしがあなたを創造したもの、わたしがあなたを管理しているものだからです。


しかし、あなた方はわたしを知らず、アイ・アム、我を知らず。わたしを知ることは、一切を知ることになります。どうか、わたしという神我キリストをあなた方は忘れないように。常にいつまでも何処までもわたしです。


今、あなた方が考えている「私」は「無常の私」です。この世限りで色褪せる、朽ち果てるあなたに生きてはなりません。あなた方一人びとりは、久遠常在の、永久(とこしえ)の自分であることを知りなさい。


だから、あなた方は、よほど今、動物や植物や鉱物よりも低下している自分を見つめなさい。今のあなた方は動物以下になっているのです。あなた方は無限の可能性を持った者です。わたしに頼るならば、わたしでもって創造するならば、無限の可能性を持っているのです。


勿体無いことですが、ここでこの話を聞いていながら、何名がわたしの話を理解してくれるでしょうか・・・。何名がわたしの道を歩んでくれるでしょうか・・・


こうして、わたしの話を生(なま)の声で聞けるのは、何千年に一度しかないのです。ようやくこの知花がわたしに体面することができ、わたしたちと結ぶことができたるがこそ、わたしたちはこの知花の意識を通して語っているのです。


あなた方はそのことに気付きなさい。今、この知花という道案内人がいなければ、あなたは一人でその道を知って、その道を歩むことが出来るでしょうか。その為に、この知花はこの世に送られた者なのです。


しかし、この知花も四十年余り、この世の無知に閉じ込められて、翻弄(ほんろう)されて、ようやくわたしたちを知るようになったのです。わたしたちより送られた者でさえも、そのようなものですから、あなた方が、今、この知花という道案内人のいるときに、何をさておいても、わたしを知らねばならないのです。


あなた方は見えるものに興味を持ち過ぎています。見えるものはいくら持っても朽ち果てるものです。


今、わたしを知ることが、いかなるこの世で為すことよりも、偉大なる大事業であることを知らねばなりません。あなた方はわたしを知ることによって救われるからです。何故ならば、わたしそのものが救い主であるからです。あなた方の原始細胞そのものに気付かずに、救われた者は一人もいません。


今の「キリスト教」は現象我であるイエスの像を礼拝して、偶像崇拝しています。イエスは自分を礼拝させるために下(お)りて来たのではなく、あなた方一人びとりの中におる内在のキリストを、即ち、わたしを示さんがために下(お)りて来たのです。それなのに、またいつの間にか乞食(こじき)の宗教を造ってしまった。泣きつくことしか知らない、あなたの中にわたしというキリストのおることを忘れてしまったのです。


二千年前、イエスは何と言いましたか。「わたしは常にあなたから離れることはない。わたしはあの世に帰っても、常にあなた方の中におるものである」と。それがあなた方の中に在(あ)る、その中心核なる原始細胞、即ち、原始キリスト、「そのわたしに気付いて欲しい」と、そのことを言ったのです。


どうか、わたしの愛を今ここで感じて下さい。この知花を通して、わたしはあなた方に愛と祝福を与えます。そして、あなた方も早くわたしに気付く者となって、わたしの許(もと)に来なさい。


わたしはあなた方をガイドするものです。わたしにガイドされれば、あなた方は躓(つま)ずくことはないでしょう。そのわたしを受け入れなさい。だからイエスは「わたしを食しなさい」と言ったのです。わたしを食するということは、わたしを受け入れるということです。


あなた方は、今、わたしを受け入れているでしょうか。この中でまだ一人もわたしを認知して、わたしを受け入れている者はいないのです。ただ観念的にようやく知るか知らないか、信じていいのか信じていけないのか、疑問だらけでいます。


今、こうしてわたしの話を聞きながらも、まだまだ完全にわたしを食しようとしないならば、あなた方はわたしの教えから遠ざけられます。


『持てるものは与えられ、持てないものは、持っているものまで奪われるであろう』と、その言葉に気を付けなさい。「あなた方はここで話を聞きながらでも、それを受け入れないものは、あなたの持っているものまで奪われるであろう」と、それはイエスの言った言葉と同じ意味です。


今から二千年前、わたしはイエスを通して語ったものです。そして、今こうして、この知花を通して語るものであるのです。どうか、あなた方がこのわたし(キリスト)に早く気付いていただいて、素晴らしい自分自身の中心核にあるわたし、生まれながらに一切の神の属性を持ったわたし、その内在のキリストに気付いていただきたいと思います。


どうでしょうか、わたしが観えますでしょうか。解(わか)りますでしょうか。

あなた方はまだまだ頭を振るのでしょうか・・・。


「わたしに気付きなさい」、わたしに気付きなさいというのは、この現象我の知花に気付くことではなく、あなた自身の中のわたしに気付きなさいということです。


あなたの中で、無限に働くわたしを受け入れなさい。わたしを受け入れて、初めてあなた方はわたしそのものとなります。わたしはあなた方を通して、具現したくって仕方がないのです。


これを「神我顕現」(しんがけんげん)と言います。神の顕(あら)われ、神の表現、それを通して、あなた方は聖なる者となるでありましょう。変性・変容を遂げるでありましょう。それ以外に、あなた方の変性・変容を遂げることはありません。


どうか、あなた方は常に四六時中、赤児(あかご)が母を思うが如く、あなたは寝ても覚めてもわたしのことを思いなさい。そうなれば、わたしは初めてあなたを思うようになります。長い間わたしのことを思わずに、あなた方は放蕩(ほうとう)の旅を続けて来ました。


今、ようやくあなた方は、わたしに心を向けつつあります。どうかわたしに手を引かせて下さい。わたしにガイドさせて下さい。わたしにガイドされた者は躓(つま)ずくことはありません。もう見えるものに翻弄(ほんろう)されることはありません。


それがあなた方の為さねばならない、唯一(ゆいいつ)のこの世での大事業です。それを成し得たとき、あなた方は王の中の王、全ての支配者です。この世で目に見える王は有限なる王ですが、わたし自身が無限なる王、王の中の王、即ち帝王です。それがあなた方に神から与えられた王冠です。それを自分の手で、自分の頭上に掲げていただかんことを、キリストの王冠を我がものとしていただかんことを、わたしたちは切に望んでいるものです。


どうか自らの手で、自らの王冠を頭上に載せて下さい。そこにわたしが着座(ちゃくざ)したとき、あなた方は一切のものとなります。一切の智恵と力があなたのものとなります。

そのとき、あなた方は「神のものはわたしのもの、わたしのものは神のもの」と明言いたすでありましょう。


その王の中の王に、あなた方一人びとりなっていただかんことを、そして一人でも多くのキリストが誕生していただかんことを、わたしは切に望むものです。


今日の原始細胞、即ち、原始キリストについての説明が、理解出来ましたでしょうか。理解出来る者は救われるでしょう。出来ない者は躓(つま)ずくでしょう。どうか、それが理解出来ますように一生懸命学んでいただき、そして、わたしに近付かんことをあなた方にお願いしながら、今日のわたしの話を終わらせていただきます。


本当に有難うございました。