公開:2020/07/26 更新:2021/07/23


真理の追究・自己追究

<目次>


1.原始細胞と伝導明想


初めに申し上げたいことは、『原始細胞』と『伝導明想』という知花先生の講話についてです。二つ共に、小冊子としてまとめられ、私が相当に感動した本です。この二つの講話が両輪となることで、私は自己追究の糸口と道筋をビシッと定めることができました。


『原始細胞』は人体という最高システムの存在を説明してくれるもので、『伝導明想』はそのシステムを最高の状態に持っていくためにはどうしたら良いのかを説明してくれるものです。真理の追究における基本中の基本と捉えています。この二つの講話は「資料」に全文を載せてありますので、ご参照下さい。ここではその一部をご紹介致します。


 

1−1『原始細胞』


・・・この原始細胞は神そのものです。神の力、神の記憶、神の愛、神の智恵、その全てを完備(そな)えたものです。これが『内在のキリスト』で、あなた方の言っている『神我』というものです。


この一つの原始細胞が、全体の肉体細胞を造り出し、支配し、管理しています。これがあなた方の内なる創造原理、即ち、創造の力、創造の意識というものです。これを『生命』というのです。その原始細胞・原始キリストが、あなた方ご自身であるのです。・・・


・・・これには始めも終わりもありません。これが久遠常在の不死不滅の自分です。本来人間というものは、この原始細胞、即ち、原始キリストが自分自身であるのですが、この形を、この肉体・形体そのものを、自分自身だと思うようになっただけのことです。だから、皆さん方を表現しているのも、生かしているのも、全てこの原始細胞です。この原始細胞が生きているのです。このことを、今の化学や医学はDNA、即ち、遺伝子と言っているのです。・・・


・・・・・だから、真我(神我)のみがあなたであって、その外なる見えるあなたは、真我(神我)なる原始細胞によって表現されている自分、即ち、表現の自分なのです。「我が主なる神」という、あなた方の中にある原始細胞、原始キリスト、即ち、真我(神我)は、全ての神の属性を秘めている魂の中に留まっています。


それに気付いて、それをはっきりと「そのキリストが我だった」と、「我が実相はキリストだった」と、あなた方がそれに意識を向けるようになりますと、強烈にその原始キリストは、私達を通して意識し始めるようになります。


それと造られた自分とが融合し、そこに委ねるようになりますと、私達は神のキリストとなるのです。内なるキリストが自分自身に気付き、受け入れましたので、食しましたので、それが表現体となって外に顕現されて来るのです。


そうなりますと、非常に素晴らしい現象が顕(あらわ)れて来ます。今までは、周囲のものの外念・外観によって、粗雑な低分子となっていた細胞が、このキリストが働くようになりますと、その細胞一粒一粒が神を記憶するもの、即ち、原始細胞のように変化してゆくのです。


今までの細胞の粗雑な記憶ではなくて、外観を受けるようなものではなくて、中心核である原始細胞という、その記憶を持つ細胞体となってゆくのです。それがあなた方の変性変容というものです。


それでは、どのようにしてこの細胞一粒一粒が、変性変容を遂げることが出来るかということは、常にあなた方が沈黙を守ることにあるのです。外なる表面意識の沈黙を守って、常にその内在なる本来の自分、即ち、原始細胞を原始キリストを、真我(神我)を意識することによって、そこに委ねることによって、内なるものが活発化して、外なるものまでが全部内なるもののようになるのです。


「外なるものは内なるもののようになり、内なるものは外なるもののようになる」という意味は、そのことを言っているのです。しかし、これにはかなりの忍耐と努力が要ります。沈黙が守れない人には不可能です。


その外なるものの五官の感化という、表面意識が活発であるときは、この原始細胞は沈黙を守っているのです。五官の感化に対して、原始細胞は邪魔をいたしません。何故ならば、原始細胞は人の自由意志を犯さないからです。ですから、私達が外なるものを望んで、外なるものに活発化を与えている間は、この原始細胞は、即ち、原始キリストは沈黙を守っているのです。


私達が内なるものを望んで、外なるものに沈黙を守らせることによって、内なるキリストは活発化してゆくのです。


それには、必ず沈黙を守るという原則があります。外なる五官の感化というものを沈黙させる、それは明想を通してのみ可能です。だから、キリスト教には「黙想」というものがあり、仏教には「瞑想」というものがあるのです。


いつか人間は、真の神「キリスト誕生」のためには、必ず明想が必要となります。明想の出来ない人は、決してこのキリスト誕生を望むことは出来ません。「復活」は不可能です。変性・変容を遂げることも不可能だということです。


あなた方が常にその自分の中心核である、真の自分自身である、実相の自分である原始細胞、即ち、内在のキリスト・神我を意識すれば、意識するほど活発化して来ます。それが「四六時中、神を想(おも)いなさい」という意味です。


四六時中神を意識すれば、あなた方は神に似ることが出来ます。四六時中表現結果を見れば、あなた方は外なる表現結果に似ることになります。何故ならば、このキリストは悪いことにも善いことにも、創造原理の力として、あなたの望むもの全てを叶えてくれるものであるからです。・・・・・


 

1−2『伝導明想』


・・・・・今の地球の外面、即ち、大気中は、あまりにも人問の考え方が凶暴性を持ち過ぎて、自我・我欲が強くて、欲望が強烈に強くて、その悪想念によって、外気が非常に汚れ切ってしまっています。


その汚れた外気が、神の光なる『愛光』を妨げています。愛光、即ち、神の愛の光がその中に入ろうとしても、外気の汚れというスモッグが分厚く出来てしまい、なかなか地球上にその光が届かなくなってしまっているのです。


何故、その神の愛の光が届かなくなったのでしょうか。それは愛の波動を出す人間よりも、憎しみの波動を出す人間の方が多すぎるからです。そこにスモッグが出来てしまい、私達の住む地球が真っ黒に黒ずんでいるのです。非常に黒い、真っ黒な闇になっていることを、私達は知らねばならないのです。


そこにおいて、あなた方の「愛の伝導明想グループ」があります。この闇の地球上で、何名かのあなた方のグループが神の愛の光を仰ぎます。『願わくば、我らが神の伝導体とならんことを。地上に神の御国の来たらんことを・・・』と。


あるいは『願わくば、我らが愛の想念体とならんことを。天と地の愛の掛け橋とならんことを・・・』と。そのように、あなた方の自由意志が神に呼びかけるのです。そうしたとき、地球上を覆っているスモッグを通して、神よりの愛の光が地球上に注(そそ)ぎ込まれて来るのです。


そのように、あなた方が愛の伝導明想を行うとき、あなた方は完全に、あなたの肉体を媒体にして、『愛光』を地上界に伝導する役目が為されるのです。


あなた方は神の伝導体として、神からの愛光を地球上に注(そそ)ぎます。その愛の光によって、愛のエネルギーによって、地上界を覆っているスモッグが薄れてきます。愛のエネルギーがスモッグを薄れさせるのです。


そういうことを、あなた方は自由意志で求め、それを行う人が多ければ多いほど、そのスモッグをより薄れさせ、愛なる光の道が大きく開けて来るのです。


それを常に日本の各地で行うことは勿論、世界各国で行う人が多くなれば、大気中に募(つの)っている強欲、あるいは憎しみ合いというスモッグが、これに調和されて、次第次第に薄れ、やがては消え去ってゆくのです。・・・・・


・・・・・その神我(キリスト)を通して愛光が入るため、それは物凄いエネルギーとなります。それをあなた方の心の状態が、もっともっと真理が理解出来るようになって、無我の境地になって、愛の伝導明想することによって、地球上の救済が出来ることを知って、それを一つでも多くのグループが、一人でも多く行うことが、闇の地球から光の地球へと変えられる真の奉仕明想であるからです。それを行うことによって、天と地との愛の掛け橋が為されてゆくのです。


あなた方がその愛の伝導明想している姿こそが、神そのものの姿です。それは我を忘れて多くの人々のために、自分の身体を神に使っていただいている、明け渡している、全開して、全託している姿です。


あなた方が愛の伝導明想をしている姿、それは何とも言えない素晴らしいものです。それは神そのものの姿ですから、そこには完全に神の波長が合い、神の偉大なるエネルギーが、あなた方の肉体が神の媒体となって流れてくるのです。


それは物凄く素晴らしいエネルギーです。そのエネルギーを受けて、感動しない人はいないはずです。だから「愛の伝導明想をすることによってあなた方は得るものがある」というのです。


その得るものとは、あなた方は完全に神の媒体として、その愛の光をあなた方の肉体に流すことによって、あなた方が「内面の目覚めが出来る」ということです。


これが愛の伝導明想をする個人的メリットです。このメリットは大きいのです。何回も、何回も、その清いエネルギーを流すことによって、内面の汚れたパイプでも、光り輝くようになるからです。


それが愛の伝導明想をするあなた方への、天上界からの贈り物です。この愛の伝導明想こそ、人も地球も救いながら自分も救われる、正に一石二鳥の、今までかつてなかった神からの愛の贈り物ではないでしょうか。


そうすることによって、真剣にやればやるほど霊的効用は果たされて来ます。そして、自分のハートは愛によって満たされるため、あなた方の周囲が変ってくるのです。何故ならば、愛の放射をあなた方がするからです。いつでも愛のエネルギーを家族の者に、あるいは世の中の人々に放射することが出来るようになるのです。・・・・・


※この『伝導明想』にある「祈願唱」は、知花先生を中心に大使方の協力をいただきながら作られたものと聞いています。90年代後半に、これを全国展開で普及されていた大村先生によりますと、「この伝導明想は現象界だろうが、幽界だろうが、霊界だろうが、どの世界であろうが、どのレベルであろうが通用する素晴らしいものだから、皆様方が各地で実行して広めていただきたい」


※更に又「この活動は地球が救われるまで、地球が聖なる星、光の惑星に移行するまで続けて行ってほしい」とも言われました。「これはやるしかないな!」と、その言葉に感動して今でもこの伝導明想は続けています。今現在、全国の中で同じような方々がおられるのではないかと思っています。


 

1−3「明想」と「実践」


何という素晴らしい内容でしょうか! この二つの講話を知ってからというもの、真理の追究・自己追究に対して、ものすごいやる気が出たことを覚えています。


・誰にでも永遠の完全細胞がハートセンターに存在している。

・船長を変えれば肉体細胞が変容し、原始細胞のように完全となる。

・奉仕の明想、伝導明想を通してエネルギーを放つことで世の中を浄化し、清めることが可能である。

・これを理解して実践すれば、全ての艱難辛苦、生老病死という四苦が全て解消できる。


それ以来、この活動に没頭し、全生涯をかけるだけの値打ちがあるとはっきりと確信できたのです。そして、神の実感・本物の実感を味わってみたいと強く思うようになりました。


私は30代前半まで、正に悩み、苦しみ、不安、恐怖の中にどっぷりと浸かっていて、どうにかして自分自身を変えなくてはならないと思いながら生きてきました。強くなるために武道を通して心身を鍛えたり、気功やヨガで呼吸法や瞑想法を実践したりとさまざまなことをやって来ました。しかしながら、何をやっても満足のいく答えが見つからず、常に満たされずに、何かを探し求めている毎日でした。


気功で言えば、当時、色々な気功の本に書かれてあった「丹田呼吸の法悦感」というものに魅力を感じ、実感したいと思い、自己流の呼吸法と鍛錬法を毎日行なっていました。数ヶ月後のあるとき、丹田が自発的に呼吸し始め、何とも言えない非常に気持ちの良い状態になりました。「何だこれは!」とビックリしましたが、同時に「これだ!」という思いがあり、今までにない喜びを感じました。「何という法悦感!」


その実感が余りにも素晴らしいので、もっともっと味わいたいという思いになり気功の鍛錬に熱中しました。しかし、続ける内に感覚が極度に敏感になったり、自分から出るエネルギーを受けて「気持ち悪い」と他人様に言われたり、気功を一緒にやっている人達の言動に違和感を感じたりと、色々な疑問が生まれてきました。


そのため、あるヨガ教室に通ったことがあります。そこでは主に瞑想を行うのですが、瞑想の姿勢にうるさく、きちんと「結跏趺坐」ができないと本格的な瞑想コースに行けないシステムになっていました。私は体が硬くてなかなかできなかったので、バカバカしくなりすぐにやめました。足の悪い人は瞑想ができないということになります。


その後、本屋の精神世界コーナーに入りびたりになり、色々な本を読んだ後に最終的に『ハイ・バイブレーション』という知花先生の本と出会えたのです。非常にわかりやすく書かれていて、「優しい人なんだろうな」というのが第一印象でした。


知花先生が説く「神は力なり、エネルギーなり」という言葉は私にとって理解しやすいものでした。前述したように、丹田呼吸の鍛錬によってエネルギーの感覚は知っていたからです。しかし、その鍛錬で各チャクラの存在やエネルギーの感覚はより明確に実感できるようにはなりましたが、ハートセンターだけは全くわかりませんでした。


あるとき、先生に「頭のてっぺんからエネルギーを入れたらいけないんですか?」と質問しました。先生はそれを否定はせずに、「始めからここにあるんです」と言ってご自分のハートを指さしました。「そうか、やっぱりハートか、・・・」「ハートに実感がなければダメだな・・・」


先生によれば、「丹田は感情の場所ですから、丹田行を行うと感情界の幽界とつながりやすくなって危険ですよ」ということでした。


丹田呼吸は7つの丹田(チャクラ)の内、へそ下の「下丹田」と言われる場所を主に意識・鍛錬するので、全体のバランスをくずしてしまうことがわかりました。自分の体験から7つの中心であるハートセンターから開花させないと危険だと思います。


後に、臭覚が敏感になったときにわかったことですが、長年鍛錬している気功師から発するエネルギーは特有の臭いがします。武道家とは少し違うんですが、余り良い印象はありません。武道家は荒っぽい波動・エネルギーを発しています。同じようにバランスが取れていないのだと思います。


病気の人や非常に疲れている人、感情的になっている人の近くではそれぞれ特有の異臭がします。上江洲先生が講話でチラッと「幽界人はどぶ臭いんですよ」と言われたことがありますが、そうなんだろうと納得しました。


ハートからの生命エネルギーの実感を得るためには、『原始細胞』に書かれているように明想を通して、自分の勘違い・間違いを矯正しなければなりません。船長を変える。「自我」という偽の船長から「神我」という本物の船長に変えるための徹底的な意識訓練が必要となります。つまり「我神なり」と常に神を意識することによって、ハートセンターからの実感が生まれるようです。そのための明想です。


明想は毎日、時間があれば何回でも行うようにしました。その都度、


「愛の伝導明想のすすめ」を唱え・・・

「祈願唱」を唱え・・・

「真理の名言」を唱え・・・

「我神なり 我神なり 我神なり 我神なり・・・」


ずーっと、これだけです。眉間やハートを意識するといいと思います。特に場所にこだわらなくてもいいと思いますが、とにかく「内なる神」を徹底的に意識することが必要です。そこには、知識や技術あるいは方法論は全く必要はありません。ただただ神への一心集中あるのみです。非常にシンプルです。


あるとき、明想中に「我神なり」と意識していたら、内側から強烈なエネルギーが働き、背筋がピンと伸ばされて姿勢が正しくなりました。「意識が正しければ、姿勢も正しくなる」と学ばされました。形から入ったヨガ教室とは完全に真逆です。


「人間」という意識を「神」に変えるには並大抵の努力では不可能ですから、常に自分自身に言い聞かせる訓練・鍛錬が必要です。正に意識改革・意識革命が必要です。これでもかこれでもかと忍耐強く実行しなければなりません。


そして、「内なる神と対話すること」、「内なる神と会話すること」が必要です。たくさん神と接すること、交わることが重要です。始めのうちは実感がないからわからなくて面白くないし、つらいとは思いますが、辛抱強く続けて行って実感が少しでも出てくれば、今まで全く知らなかったエネルギーの味わいがわかり、それは楽しみに変わり、喜びに変わり、人生そのもの、生きがいそのものに感じられるようになります。


また、更に重要なことは、「真理の実践」です。明想を始めると色々なことが自分に起こって来ます。何でこんなものが来るんだろうと最初は不思議だったんですが、明想することによって神の仕事が与えられるのだと理解しました。自分に与えられる仕事は「神の仕事なんだ」として、全てを受け入れて実行する必要があります。闇雲に何でもかんでも受け入れるという意味ではありませんが・・・そこは識別能力が必要ではあります。一つの指標として「全体のためになるのか、そうではないのか」を基準に考えれば良いと思います。


後に、大村先生がこう言われました。


「皆さんは、なかなか霊的に成長しない。なかなか神を実感できない。何故か?」「皆さんは明想中、『我は神なり、我は無限なり』と言いますね。それは、『私は全てのことに関して責任があります』と宣言していることになるのですよ。しかし、その後、神の仕事が与えられた時に、真理の実践の場が来た時に『私、それ知らない』『私、関係ない』と言って否定してしまう、逃げてしまう、実行しない。それならば、先の明想は無効ですよね。約束を破ったことになりますから・・・」


そのようなことを言われました。


「やります」と神と約束したのにやらない、実行しない、ということです。プラスマイナスゼロ・・・「なるほど、そうか」とそう納得しましたが、同時にこれは相当に厳しい道だなと思いました。覚悟をしないとこの道は歩めない。前に前に出ないと成長は不可能です。


呼吸法にたとえると、「明想」が吸うならば「実践」は吐くですから、「実践」がないと吸ってばかりですから、呼吸が完結することはありません。従って、「霊的実感」「神の実感」はいつまでたっても得られない結果になります。


先生は「私は最初は愛とは何かが全くわからなかったから、講話会場に参加された皆さんの靴をそろえることから始めました」「そのレベルから始めたんです」と言われました。背伸びをせずに、今現在の自分のレベルに応じた「実践」をしていくことが必要なんだということです。


『世紀末を救う意識改革』という知花先生の著書に以下のような記述があります。


・・・シャンバラとは永遠という意味で、見えない意識の世界です。シャンバラの本部のあるコーナーには、数十億個のランプが点る部屋があります。それは、地球上に生存する全ての人間の数だけ、ランプが点っているのです。その人の意識が高いと、そのランプの明るさが増し、その人の意識が低いとランプが暗いのです。日本人のコーナーは、残念ながら全体的にはランプは暗かったのです。その個人のランプが明るくなると、意識の世界では、その個人の指導を強化するのです。人類には全ての個人に、超意識の世界の指導が行われているのです。・・・


これは、真理の追究に対してやる気を出すと、厳しいことが起こって来るという意味になります。「こいつは見込みがあるな!」と判断されれば、守護霊や指導霊を通して指導が強化されるのでしょう。厳しくはなりますが、それは非常に光栄なことであり、自分自身が霊的に鍛えられることだと思います。


・この「明想」と「実践」のバランスを整えることが重要ということ

・やる気を起こせば、指導が強化され、霊的鍛錬になるということ


この2点を学びの初期の段階で理解できたことは、自分にとって大変良かったと思っています。