公開:2020/07/26


愛の伝導明想


知花敏彦 講話集「奉仕について」より

<目次>


親愛なる皆さん方へ


1988年の4月、沖縄での知花先生の御教えが、又も今というこの時に、清里から再び活動しようとしています。その御教えを、こうして皆さん方にお伝え出来ますことを嬉しく思います。


今、地上界では、愛の光による清めの段階に入って来ました。地上に降り注がれた、その清めのエネルギーが動き始めて来ました。そのエネルギーの動きによって、「自分ごとではなく、世のため人のために何かをしたいのだが・・・」と、多くの方々はそれを感じ始めて来ているのです。でも「何をしたらいいのか・・・」と、それを思う方々が多いのです。


─── 御伽噺の花咲か爺さんは「枯木に花を咲かせましょう」と灰を撒きました。清里の光の花咲か爺さんは「地上に光の花を咲かせましょう」と、毎日毎日、朝な夕なに、それは十年間以上も、土(闇)の中にいる種たちに光を撒き続けてきました。だから、今、土の中の種たちは、ようやく愛の光を感じるようになりました。


「さあ、光の種たちよ、芽を出す時は今ですよ・・・。あなたたちの使命をはたす時が来たのです」と、「あなたたちが芽を出して、世のため人のために愛の光を放とうとするならば、わたしたちはあなたたちに愛のエネルギーを注ぎましょう」と、大勢の光の天使たちが地上に降りて来ました。───


そのように、皆さん方がご自分の意志で、愛の想念で、世のため人のために地上界の平安を願って、祈願文を唱えて神に呼びかけて戴けるなら、天使方は皆さん方に変圧した神の力をお与え下さって、皆さん方の肉体は神の伝導体となって、神の愛の光をこの地上界に伝導する役目が為されるのです。これが本当の愛の伝導明想ではないでしょうか。そのときの皆さん方の媒体からは、物凄い愛の光が放射されることでしょう。


天使方よりお導きを賜りました。知花先生よりご指導とお力添えを仰ぎました。その中で新しい祈願文が生まれました。そしてこの『奉仕について』の原稿も、愛の奉仕明想、即ち、愛の伝導明想をテーマにして、その一部分を新しい祈願文に融合させた編集となりました。

         

一本の薪でも炎は上がります。ですが、一本の薪より二本、二本の薪よりは三本と、そのように薪の数が多いほど炎は大きく燃え上がるものです。


どうか、皆さん方が行っておられるグループ明想会において、皆さん方のご意志に委ね、この愛の奉仕明想がより多く行われますことを、心よりお願い申し上げる次第です。


編者より

 

 

    愛の伝導明想のすすめ



あなた方が真理が理解出来るようになって


あなた方が愛の伝導明想をすることによって


地球上の救済が出来ることを知って


一人でも多くの人が


一つでも多くのグループが


より多くの愛の伝導明想を行えば


闇の地球から光の地球へと


変えられるのである



何故ならば


あなた方が変圧された神の力を仰いで


あなた方が愛の伝導体となり


そこから放射される愛のエネルギーを


あなた方が意識しなくても


天使方が地球の清めとして


必要な処でお使いになるからである


あなた方のその愛の奉仕は


天と地の愛の掛け橋となるのである




 

  愛の伝導明想 『 祈願唱 』



神の御心が


天に成るが如く地にも成らせ給え


願わくば


我らが神の伝導体とならんことを


地上に神の御国の来たらんことを



宇宙の中心より


絶えざる愛の流れを人の心に入れさせ給え


願わくば


我らが愛の想念体とならんことを


天と地の愛の掛け橋とならんことを



我が愛は全宇宙に遍満し


私は大愛の中に存在して


大愛は我が中に在(ましま)す


私は大愛そのものなり



神は無限なる大愛なり


我も無限なる大愛なり



大愛が我を造り


大愛が我の中に宿りたもう



 

奉仕について


「人間は奉仕である」と、「愛の奉仕なくして神に至ることはない」と、そのように言われていますが、では、その奉仕とは一体何でしょうか。


世の中の人達はよく「奉仕をする」と言います。その奉仕をすることについては、それぞれの動機というものがあるはずです。ですが、中には非常に動機の狂った奉仕というのがあるのです。それは「自分が幸せになるために」とか、「自分が世間からよく見られたい」とか、「自分の利得のために」とか、そのような思いが混ざった利己的奉仕というものです。


本来の真の奉仕とは非利己的奉仕のことです。無所得の奉仕のことです。無収、無欲、無私の奉仕のことです。即ち「私が無い」ということです。真の奉仕を行うには「私」という存在感は無いということです。


本来は「私」という個人的立場は存在いたしません。奉仕している、即ち「人に尽くしている」ということも本来は存在しないのです。人に尽くすことは自分に尽くすことであって、私達は分離ではなくて、「一つの生命体の中の生命」即ち「個別化された生命」であり、人に尽くすことは自分に尽くすことになるからです。


ですから、自分というものもなく、人というものもなく、在るのはただ一つの生命体だけであるということです。もし、差別感の奉仕であるならば、それは真の奉仕にはなっていません。


「あの人には尽くすがこの人には尽くさない」と、「愛してくれる人には奉仕するが、愛してくれない人には奉仕しない」と、そのような差別感の混ざった奉仕であれば、それは汚れた奉仕であって、やらないよりは・・・という程度のものです。


真の奉仕というものは当り前のことであって、何も特別なことではないのです。その当り前のことが、今、世の人々には現実に出来ていないのです。


例えば、私がここでこのように話をすることも奉仕です。どうしたらあなた方が幸せになるのだろうかと、お互いに話し合うことによって、真理を学習することによって幸せになれるのではないかと、少しでも話をしているうちに、今まで理解出来なかったことが理解出来てもらえれば、その人に喜んでもらえるだろうと、その奉仕を通して、その人が喜ぶということは私の喜びでもあるのです。


『人の喜びは私の喜びである、私の喜びは人の喜びである』と、これは真理です。


本来は「あなた」とか「私」とかは存在いたしません。あなたとか私とかいうものはないのですが、世の人々は五官の目でものを見ていますから、そこに一体観念から離れて、分離観念の中に生きており差別が生じて来るのです。だから「あなたはあなた」「私は私」というように差別感を持つようになったのです。


神の愛は全体です。だから、私達にどんな迫害を加える者の上にも、どんなに敵対行為をする者の上にも、神は平等に愛を注いでおられるということを知らねばなりません。


お互いに愛し合ってる者同士は、愛することは容易に出来ますが、自分の悪口を言ったり、自分を迫害する者には、愛がなかなか出来るものではありません。真の愛とはそのようなものではなく、本当にあなた方が愛を悟っているならば、一体観念という自覚が出来ていて、「命は根源においてはみな一つだ、あなたと私は一体なのだ」という悟りの中にいて、あなた方は自分を迫害する者ほど愛しなければならないのです。


何故ならば、迫害する者ほど苦しんでいて、魂的に未熟で幼稚であるからです。苦しむ者を救ってこそ初めて価値があるのです。救われている者同志を、愛し合う者同志を愛しても、元々それらの人達は救われていますから、その価値は全然違うのです。


自分を貶(けな)したり悪口を言ったりする人をいとおしく思い、「その人は貶したり悪口を言ったりすることによって、きっと自分を苦しめているだろう、そんなことを言わなければ自分を苦しめることはないだろうに・・・」と思い返す心で、その人をあなた方が愛の波動で包んであげる・・・、許してあげる・・・というような深い愛の奉仕が出来るまで、あなた方は自分を高めてゆかなければならないのです。イエス様はご自分を処刑した兵士たちさえも、許されて、愛されたのです。


ここに集まっているあなた方グループは、まるで兄弟・姉妹のように、お互いに話し合ったり、喜びあったりする愛の姿があります。そのグループ愛も非常に大切ですが、そのグループから別のグループを貶したり、あるいは愛しなかったりもする差別感が、ややもすると出て来るのです。「私達のグループはよいのだが、向こうのグループはよくない」とか言うようなことではないのです。そこには分離・差別・対立という、神の愛から離れた意識が混ざっているのです。


だから、いかなるグループも「グループの和」といって、仲良く手を取り合う、愛し合う和を拡げて、親兄弟にも話せないことでも話し合い助け合う、その気持ちがそのグループから広がって行くことが、世の中が変って行くことになるのです。それを『愛の拡大』といいますが、一人の存在から二人へと、三人へと、そのグループがどんどん大きくなって行くことにより、世の中が変わって来るのです。


今の地球の外面、即ち、大気中は、あまりにも人問の考え方が凶暴性を持ち過ぎて、自我・我欲が強くて、欲望が強烈に強くて、その悪想念によって、外気が非常に汚れ切ってしまっています。


その汚れた外気が、神の光なる『愛光』を妨げています。愛光、即ち、神の愛の光がその中に入ろうとしても、外気の汚れというスモッグが分厚く出来てしまい、なかなか地球上にその光が届かなくなってしまっているのです。


何故、その神の愛の光が届かなくなったのでしょうか。それは愛の波動を出す人間よりも、憎しみの波動を出す人間の方が多すぎるからです。そこにスモッグが出来てしまい、私達の住む地球が真っ黒に黒ずんでいるのです。非常に黒い、真っ黒な闇になっていることを、私達は知らねばならないのです。


そこにおいて、あなた方の「愛の伝導明想グループ」があります。この闇の地球上で、何名かのあなた方のグループが神の愛の光を仰ぎます。『願わくば、我らが神の伝導体とならんことを。地上に神の御国の来たらんことを・・・』と。


あるいは『願わくば、我らが愛の想念体とならんことを。天と地の愛の掛け橋とならんことを・・・』と。そのように、あなた方の自由意志が神に呼びかけるのです。そうしたとき、地球上を覆っているスモッグを通して、神よりの愛の光が地球上に注(そそ)ぎ込まれて来るのです。


そのように、あなた方が愛の伝導明想を行うとき、あなた方は完全に、あなたの肉体を媒体にして、『愛光』を地上界に伝導する役目が為されるのです。


あなた方は神の伝導体として、神からの愛光を地球上に注(そそ)ぎます。その愛の光によって、愛のエネルギーによって、地上界を覆っているスモッグが薄れてきます。愛のエネルギーがスモッグを薄れさせるのです。


そういうことを、あなた方は自由意志で求め、それを行う人が多ければ多いほど、そのスモッグをより薄れさせ、愛なる光の道が大きく開けて来るのです。


それを常に日本の各地で行うことは勿論、世界各国で行う人が多くなれば、大気中に募(つの)っている強欲、あるいは憎しみ合いというスモッグが、これに調和されて、次第次第に薄れ、やがては消え去ってゆくのです。


では、そのスモッグが、あなた方にどのような影響を及ぼしているのでしょうか。あなた方の目には見えない大気中には「想念体」即ち「想念形体」という「念」が実在しており、あなた方の肉体頭脳に思いとなって浮かんでくるものは、この大気中に悪想念という、怒りや憎しみの念というスモッグが多いため、そこからの感受性を通して、それを受け取って、あなた方自身が怒りや憎しみの媒体になってしまうのです。


だから、今の地球上には、愛が非常に少なくなってしまいました。今の地球人は闇の勢力に負けてしまい、闇の思うがままに、人の悪口を言い合うことも平気で罪だとも思わない、人を貶(けな)し合うことも、憎しみ合うことも罪だとも何とも思わない、だから、非常に悲しいことなのですが、《そんなことは人間だから当り前だ》と思うようになってしまったのです。


何故、私達はそのような思いをするようになったのでしょうか。それは私達人問は長い長い年月の間に、地球上の大気中に、沢山の悪想念の種を蒔いてしまったからです。その悪想念が地球のカルマとなるのです。だから、地球人一人びとりの悪想念が地球を覆い、それが地球のカルマとなったのです。


そこに神よりの愛の光が入らないため、地球は大きな病にかかってしまったのです。このままでは、やがてこの地球上は、私達の住んでいる地上界は、生命力を無くしてしまうことになるのです。


その地球人類一人びとりの悪想念によって、この地球を抱擁している大気のバランスが崩され、地上では異変的な天候が起こり、冷害や干魃(かんばつ)や大洪水が、そして地球の地軸バランスまでも狂わされてしまい、地表では火山の大噴火や大地震が起こり、このことは、人間の目に見える範囲に過ぎませんが、そのように地球には天変地異が起こっているのです。


何故そのような状態が起こるのでしょうか。地上界に調和された神の愛の光が入っておれば、人間は悪想念というカルマを持つことはないのですが、地上界の人間が不健康な破壊的な心で、そのような悪想念を持つことによって、全体の中の銘々のカルマが総結されて、世界人類の悪想念のカルマが地球のカルマとなり、その結果として起こるのです。


あるいは、日本の国民が、日本に住んでいる人間が日本のカルマとなります。だから、日本人が悪想念を持つことは、日本という国が、そのカルマを刈り取らなくてはならないのです。それは国としてのカルマだからです。


一個人の中で悪想念を持つことは個人のカルマであり、勿論、その個人がそれに報いますが、それは個人が報いると同時に、日本全体に影響を及ぼすのです。その現れとして、例えば、日本の政界・官僚・財界の方々の心の影という、闇の世界から浮上して来た幾多の出来事がありますが、その方々の悪想念は、その個人だけが報いると思うなら大きな間違いです。


それらの出来事は、自国、つまり日本国に大きな影響を及ぼしており、それと同時に世界各国にも影響を及ぼし、そのような地球のカルマを造っているのです。


これは個人的カルマでもあり、日本全体としてのカルマでもあり、あるいは世界全体としてのカルマでもあり、その一人の悪想念はその人だけの影響ではなく、地球全体に影響を及ぼしているということを、世の人々は知らねばならないのです。


カルマには「善いカルマ」と「悪いカルマ」があります。その意味においては、善いカルマは善い結果を及ぼすということです。『愛の想念体』と言って、愛ある波動を出す人間が多くなれば、この地球には愛の波動が充満し、その愛の影響を受けて、地球人類みんなが愛深い人間になって行くのです。


そうなれば、今地球上で、敵対して憎み合っている国の人々も、戦争をして殺し合っている国の人々も、食糧危機で餓死して行く国の人々も、難民として死に物狂いで故国を離れる人々も、一元の神の愛の中で「我らはみな兄弟・姉妹だ」と呼び合える同胞体となり、国境を越え、人種を越え、世界人類みな一つになって愛し合い、助け合い、励まし合い、幸せの楽園の中で暮らして行けるのです。


そのとき、父なる神はご自分の息子・娘たちに、きっとこのように申されるでしょう。『わたしの平安、わたしの愛をあなたたちの許に留め、永続させるであろう』と。それは何と素晴らしいことでしょう。それはまさに地上天国、愛の大国です。この地球が、この地上界がそうなることを、神は切に切に望まれておられるのです。


だから、『神の御心が天に成るが如く地にも成らせ給え』と、だから『我らが神の伝導体とならんことを』と、『我らが愛の想念体とならんことを』と、そして『天と地の愛の掛け橋とならんことを』と、私達が中心となって強い意志と信念を持ち、世の多くの人々とこの愛の伝導明想を行うことによって、そのように祈願成就が成し得られるようになるのです。


だから、そのことは「神の意志(御心)が、愛の伝導明想を行う者の中で為されるのである」ということになるのです。


ですが・・・今の地球のカルマをこのままにしておけば、地上界は滅びざるを得ないのです。だから「地球は今世紀で終わるかも知れない・・・」と、これまでにその期限を訴える多くの予言者が出て来られたのです。それらの予言された方々は「そうならないようにあなたたちは愛の想念体となりなさい」という意味合いの、その期限を目前に迎えた、地球人類への切なる愛の呼びかけだったのです。


しかし、それらの予言書を出版した方々は、大変な罪を持っています。何故ならば、そういう予言者の愛の心に反して、逆にその書物は恐怖を植えつけるものとして、それを読む人の心に、悪想念を撒き散らしていることになるからです。その書物は恐怖という物凄い汚いエネルギーを出しており、恐怖を与えるということほど汚くて、硬いスモッグを造るものは他にはないのです。その予言の内容を確実に把握し、予言者の切なる愛の心を感じ取って人間に愛と希望を持たせれば、悪想念を撒き散らすことにはならなかったのです。


はっきり言って、それらの書物は魔の勢力です。悪いことを訴えて善いことが起こるはずがありません。「もう地球は滅びるのだ」と恐怖を与えるものは闇の勢力であって、光の勢力ではないからです。


だから「私達人類の未来は明るい」と。「東の先端日出ずる国の日本より世界の夜が明ける」と、「私達が神の御心を為すことによって、愛の想念体となることによって、このスモッグは取り除けるのだ」という希望を持って、次に訪れる黄金時代を信じて、そこに心ある方々の愛の伝導明想グループが出来て、地上界の清めを、今、現実に、あなた方はその愛の伝導明想を奉仕として、奉仕活動として、地上界の悪想念を中和させるために、あなた方の自由意志でそれを行っているのです。


勿論、それは天使方の力を仰いで、神の愛のエネルギーが、あなた方を愛の媒体として送られて来るのです。その愛の伝導明想グループが、一人でも多ければ多いほど力が増してきます。だから、この地球を早目に救済したいのなら、本当に心ある、分かち合いの出来る、話し合いの出来る多くの方々が、多くの愛の伝導明想をすることにあるのです。そして、その目的が達成出来るまで行い続けて戴きたいのです。


それは、あなた方が、愛という、世界人類のために自分を捧げることです。

今まで私達は肉体というものを、自分という自我のためのみに使って来ました。そして、自己欲望達成のために、自分というものは存在するものだと思って来ました。ですが、今ここであなた方が学び始めたことは「この肉体は世に捧げるためにあるのだ」と、「この肉体を世に捧げるために自分が生きているのだ」という、その真実の神の道を知り始めて戴いたということです。


我が身を捨てて奉仕活動に励んでいる姿、それは『愛光』そのものです。何故ならば、無欲、無収、無私、全体に溶け込む姿、その自分という我(が)を忘れて、人のために働いているときは「神我」そのものだからです。それは真我の現れです。奉仕をしているときは「神我顕現」をしているのです。


神我そのものが光です。即ち、愛光そのものです。その愛光を地上界で出せる人間が多く世に出れば、今の地球のカルマなどは、今の地上界の闇などは、それは問題ではなくなるのです。


そして、人に尽くすことによってその人は救われます。何故ならば、神の媒体として、神の御使(みつか)いとして、神我そのものが神ですから、自分の中に神を現しているということになるからです。


「自分の肉体に神を現す」というように、愛の奉仕をしているときは誰でも神です。完全に我を忘れて非利己的奉仕が出来たとき、あなた方は完全に神に自分の肉体を明け渡した状態、即ち、神に使っていただいている状態です。


だから、あなた方が愛の伝導明想を行うことは、完全に我を忘れて、こうして神我に肉体を明け渡した、あるいは肉体を善課した、神に善課したと、そのように神に自分の心を開くということは、愛の奉仕でしか他にないのです。


その愛の奉仕にも色々ありますが、それを「犠牲」と呼ぶ場合もあります。

「自己犠牲」と言って自分を世の中の犠牲にする、本来は一生命体の中では人の犠牲というものはありませんが、その犠牲を行うことによって犠牲を得るということです。


例えば、奉仕をすることによって金儲けをしようとか、自分の名誉のためにとか、自慢するためにやっているならば、それは奉仕でも何でもありません。しかし、金儲けではなく、名誉ではなく、自慢ではなく、本当に心から愛が芽生えて、人の喜びとして、その喜びを見て奉仕をしている姿を「無我夢中」というのです。


無我夢中、その無我というのは「我が無い」ということです。だから、個人明想で一生懸命無我になろうと、無我の境地を味わおうと、いくらあなた方が無我の境地になったとしても、これは真の無我ではありません。そのときは、あなた方が誰にも奉仕をしていないからです。唯、我を忘れたというだけでは神の力は発揮出来ないのです。


無我の境地というものは、愛の奉仕によってしか得られないのです。奉仕、あるいは自己犠牲によって、初めてあなた方は無我の境地を体験します。個人明想のとき無我の境地になったと言っても、それは何の意味もありません。救われもしません。それは自己満足というものです。誰のためにも働いておらないからです。無我の境地というものは、自分を忘れて人に尽くしている姿のことです。


これはあなた方の毎日の家庭生活の中にもあるのです。その一つの例として、奥さんが子供のために、旦那さんのために料理を作ります。この料理を食べることにより家族の者が健康になって欲しい、幸せになって欲しいという愛の気持ちで一生懸命奉仕をしている、その無我夢中になっている姿こそが無我の境地なのです。


それは愛のエネルギーです。それは現実として、そのエネルギーが家族の者に注がれるのです。愛のエネルギーが注がれて、それを食べることによって現実の利益となるのです。だから、個人明想で座っていて、無我になっても何の利益にもならないのです。人への愛の働きがないからです。


しかし、地球上を救済するための愛の伝導明想の無我は、大いなる利益となるのです。何故ならば、あなた方は天使方から変圧された神の力を仰いで、あなた方が神の伝導体となって、そのあなた方から放射される愛のエネルギーを、天使方が地球の闇の清めとしてお使いになるからです。


それは、あなた方が意識しなくても、その愛のエネルギーを、天使方が必要な処でお使いになられるのです。


あなた方が愛の伝導明想を一時間行ったとするならば、それはまさに物凄く素晴らしい姿、一時間中、愛の奉仕明想をしているあなた方の姿のことです。そのときあなた方の姿は、神に全開した姿、神に全てを明け渡した姿、そして、あなた方は神と共同作業をしている姿であるのです。


その神とは「神我」のことです。神我を通さずして神の愛光は入りません。だから、そのことをイエス様は「わたしを通さないと神の御国には入ることは出来ない」と言われました。その(わたし)とは、現象我のイエス様ご自身のことではなく、神我のことを言われたのです。


その神我のことを〈キリスト〉と仮名付けします。その神我(キリスト)を通さないと、あなた方は神に入ったことにはならないのです。これは内在のキリストのことです。即ち、あなた方の神我のことです。あなた方の「内在神」のことをいうのです。


その神我(キリスト)を通して愛光が入るため、それは物凄いエネルギーとなります。それをあなた方の心の状態が、もっともっと真理が理解出来るようになって、無我の境地になって、愛の伝導明想することによって、地球上の救済が出来ることを知って、それを一つでも多くのグループが、一人でも多く行うことが、闇の地球から光の地球へと変えられる真の奉仕明想であるからです。それを行うことによって、天と地との愛の掛け橋が為されてゆくのです。


あなた方がその愛の伝導明想している姿こそが、神そのものの姿です。それは我を忘れて多くの人々のために、自分の身体を神に使っていただいている、明け渡している、全開して、全託している姿です。


あなた方が愛の伝導明想をしている姿、それは何とも言えない素晴らしいものです。それは神そのものの姿ですから、そこには完全に神の波長が合い、神の偉大なるエネルギーが、あなた方の肉体が神の媒体となって流れてくるのです。


それは物凄く素晴らしいエネルギーです。そのエネルギーを受けて、感動しない人はいないはずです。だから「愛の伝導明想をすることによってあなた方は得るものがある」というのです。


その得るものとは、あなた方は完全に神の媒体として、その愛の光をあなた方の肉体に流すことによって、あなた方が「内面の目覚めが出来る」ということです。


これが愛の伝導明想をする個人的メリットです。このメリットは大きいのです。何回も、何回も、その清いエネルギーを流すことによって、内面の汚れたパイプでも、光り輝くようになるからです。


それが愛の伝導明想をするあなた方への、天上界からの贈り物です。この愛の伝導明想こそ、人も地球も救いながら自分も救われる、正に一石二鳥の、今までかつてなかった神からの愛の贈り物ではないでしょうか。


そうすることによって、真剣にやればやるほど霊的効用は果たされて来ます。そして、自分のハートは愛によって満たされるため、あなた方の周囲が変ってくるのです。何故ならば、愛の放射をあなた方がするからです。いつでも愛のエネルギーを家族の者に、あるいは世の中の人々に放射することが出来るようになるのです。


『願わくば、我らが神の伝導体とならんことを』と、『願わくば、我らが愛の想念体とならんことを』と、そして『神は無限なる大愛なり』と、『我も無限なる大愛なり』と、あなた方が強い意志と信念で、愛と光のエネルギーをハートに充満して、そして、そのエネルギーをあなた方が放射することにより、家族の者が、世の中の人々が、世界中の人々が、そのエネルギーに満たされているというイメージをすると、そのイメージしたことが必ず現れて来るようになるのです。


そして、あなた方が夜眠るとき「わたしが眠っていながらも、わたしの胸元からは愛の光のエネルギーが燦然と輝くであろう」という強いイメージを、そのビジョンを持って睡眠に入って行けば、その通りに眠っているあなた方の胸元から、物凄いエネルギーが放射されて来るのです。


このことは、あなた方は愛の奉仕がいくらでも出来るという一つの証(あかし)であり、あなた方が自信を高めてもらうために、このことを申し上げているのです。


だから、あなた方が神の完全なる伝導体であることの確信を持って、その祈願文を唱えながら、世の中へと、そして地球全体へと、あるいは宇宙全体へと、愛の光を放射しているイメージ、そのビジョンを想い描いて愛の伝導明想をすれば、もう地球のカルマは問題ではなくなり、地上界の救済となって来るのです。


  【我らが愛の伝導体とならんことを・・・】

  【すべての人々が愛の想念体とならんことを・・・】

  【愛光が光り輝く地球とならんことを・・・】

  【全宇宙に遍満する大愛と完全調和が成されんことを・・・】


愛の伝導明想をすることによって、愛を放射する人が一人でも多く出れば、世の中は愛に満たされて善くなって来るのは当り前です。何故ならば、今までは強欲、憎しみ、怒りの念が充満していたのが、多くの人々が神の伝導体となって、愛の想念体となって、そこからの放射される愛のエネルギーが、それらの悪想念を清めてしまうからです。


そのように、先ずあなた方から世の中の清めをするのです。これが真の愛の奉仕でなくて何でしょうか。


そして、あなた方がいつ何時(なんどき)でも、あなた方の想いが愛のチャンネルを合わすことが出来るようになれば、あなた方は常に「愛の奉仕者」となれるのです。


あなた方は愛の奉仕なくして神に近付くことは出来ません。「愛の奉仕なくして神の伝導体となることは出来ない」ということです。愛の奉仕そのものが神であるからです。愛の奉仕そのものが神の御心であるからです。


これらのことは、私自身の体験を通して申し上げているのです。私が真剣にその愛の奉仕を行ったからこそ、私には神の智慧と力が与えられたのです。即ち、全智全能の神です。私はそこから話をさせていただいているのです。もしも、私の愛に働かず、愛の奉仕もせず、愛を人に捧げることもしなかったとするならば、私には神の智慧と力も、神の愛の道も与えられることはなかったでしょう。そして、こうしてあなた方に、この話をすることも出来なかったでしょう。


どうか「想念」という神の力を悪用しませんように、そして、消極的な悪想念を、一時だってあなた方の心の中に住まわせないようにして下さい。あなた方が神の伝導体となって、愛の想念体となって、この地上界の救済に貢献していただかんことをお願いしながら「奉仕について」の話に代えさせていただきます。



どうも有難うございました。